2017-11

私が芸術の道を選んだ理由。

皆様こんにちは。

今までお話ししていなかった、私が芸術の道を選んだ理由をお話しいたします。

私は子供の頃イジメを受けていました。

猿顔で耳が大きいため、
「サル!」などと言われ、
耳を引っ張られて引きずられ、耳たぶが裂けて出血したこともありました。

自分が悪いことをしてイジメられたなら、そこを直せばいいのですが、見た目という「自分ではどうしようも出来ない」部分でイジメられていたのです。

「サル」と言われるのは大学時代まで続きました。

私が幼い頃イジメがありましたが、それでも仲良くしてくれる友達がいました。

ある時、自宅でガンダムの絵を描いていたら、その数少ない友達が、
「上手いじゃん!みんなに見せなよ!」と言ってくれました。

私は恥ずかしかったし、ただ絵を描くのが好きで描いていただけで人に見せるつもりは無かったのですが、
友達の言葉に押されて学校でみんなに見せました。

すると「上手いじゃん!」とみんなに言われました。

たくさん描いていたせいか、デッサン力が多少身についていたのかもしれません。

それが私にとっては大きな自信になりました。

イジメは完全には無くなりませんでしたが、
「これなら負けない!」と思えるものを見つけました。

それが高じて、私は幼いながらに芸術家になることを夢見ました。

その時の友達には、大変感謝しています。

そして高校受験の際、私は美術系の高校へ行きたかったのですが、偏差値が足りませんでした。

普通科の高校は「中学の延長」くらいにしか思っていなかったので、
「生産的な点では工業も美術も共通している。」と思い、
私は工業高校の電気科に入りました。

まったく新しい世界。

電気の勉強や実習も楽しかったです。

工業高校という事で専門授業が多く、一般の授業は少なかったです。

その中で数少ない美術の時間、私はイキイキとしていました。

工業高校に入り、工業の勉強をしているうちに、
「やはり美術がやりたい!」と思いました。

工業高校へ入る前は美術の事しか頭にありませんでしたが、工業高校へ入ったのは正解でした。

そこで初めて「美術」というものとの比較対象が出来て、
「工業も楽しいけど、やっぱり美術がやりたい!」と思えたからです。

さらには、高校三年の修学旅行で錦帯橋を見ました。

私にはとても衝撃的でした。

300年以上前に設計され、何度か架け直されているとは言え、いまだに残っている事に感動しました。

その時私は、錦帯橋を自分の足で渡りながら、
「人間の素晴らしい所はモノを産み出して残していける事なのではないか?」と思いました。

その後、学校の先生に「美術がやりたいです。」と相談しました。

すると先生は、美大や専門学校の資料や学費等の資料や、美術系予備校の資料などをたくさん用意してくれて、私の夢をバックアップしてくれました。

その時私は「先生って素晴らしい職業だな。美術の先生になりたいな。」と思いました。

その時私には、美大へ行くことが頭を過りました。

芸術家を名乗るのに、美大を出ていなければいけない、という決まりは有りません。

芸術家になるなら専門学校でもよかったのですが、美術の先生になるためには大学へ行かなければなりません。

結果、一浪してしまいましたが、本命の武蔵野美術大学へ合格しました。

大学では教職課程を履修し、教師になるための勉強をしました。

そして大学四年の夏、私の前に運命を変える人物が現れました。

Sさんという女性です。

私の初恋でした。

当時私は天使の彫刻を作っていました。

そのSさんは、毎日のように私のアトリエに来て、たくさんお話しをしてくれました。

そのSさんが、ある時私の作った天使を見て、
「純粋なんですね。私も昔は・・・。」と言ったのです。

私は動揺しました。

「昔は・・・、ってどういう事?今はそういう気持ちを忘れてしまったの?!」と思い、ショックでした。

初恋の相手がそのような事を発言したのが私にはとても衝撃的でした。

でもSさんは、「中島さんの天使を見ていると癒される。」とも言ってくれました。

その時私は、「自分にとってはもしかしたら、教師になるより芸術家として人々の心を癒すのが使命なのではないか?」
と思いました。

そのSさんには告白しましたが残念ながらフラれてしまいました。

ですが、その時作っていた天使の彫刻をSさんにプレゼントしました。

「迷惑かな?」と思いましたが、やはり評価していただいた方ですし、
「癒されてくれるならば持っていてほしい!」と思い、プレゼントしました。

Sさんは、「告白を断ってしまったのに頂けるんですか?」と仰っていましたが、
私は「あなたにもらって欲しいんです。」と言いました。

Sさんは、快く受け取って下さいました。

私は勉強して教員免許をとりましたが、教師にはならずに、芸術家の道を選びました。

教師という仕事は魅力的でしたが、私には「芸術家として人を癒す作品を作る」事の方が大きな夢になっていたからです。

img052c.jpg

この作品も写真です。

例によって特殊な撮り方をしています。

例のお気に入りの樹です。

私は芸術家の道を選んだ際に、
「一生貧乏でも構わない!死ぬまで夢を追い続ける!」と覚悟を決めました。

芸術とは、崇高な魂の活動です。

芸術とは、文化です。

お金儲けの手段ではありません。

もちろん、作品が売れてお金が入るのは悪いことではありません。

「お金」という目に見える形で評価していただいたという事です。

ただ、それはあくまで結果的に付随してくるものであって、それが目的になってしまっては、それは文化や魂の活動とは言えません。

単なるお金儲けです。

私は人生の夢として芸術に取り組んでいます。

芸術というのは、悩んだり身を削って作品作っても、
評価される保証はどこにもありません。

仮に評価されても売れる保証はどこにもありません。

仮に売れたとしても、次の作品が売れる保証もどこにもありません。

お金儲けを考えたら、こんな効率悪い手段は有りません。

私はお金儲けが目的であったら、とっくに芸術を辞めています。

お金儲けが目的ではないからこそ、今まで続けて来れたのです。

私は上で書いた通り、イジメ等もありましたが、頑張っていれば応援してくれる人が必ず現れます。

私はその方達のお陰で、芸術家として夢を追い続けられていますし、人や物事の上っ面ではなく、本質的な中身を重要視するようになりました。

私は夢を持っていられて幸せです。

私の今の夢は、「人々の心を癒す作品を作り続けること」です。

ですから、「夢が叶った」と思える日が訪れないのです。

それでも追い続けます。

一度見て、焦がれた夢を簡単に捨てる訳にはいかないのです。

今回はちょっと長々と書いてしまいました。

ご拝読ありがとうございます。

皆様も夢を諦めずに、希望を持って、ご自身の人生を楽しんで下さいませ。

いつも支え、応援してくださる皆様。
このブログをご覧いただいている皆様。
いつもいつもありがとうございます。
大変感謝しております。

最後に私事ですが、七日の七夕の日に精神科を退院することに決まりました。
その事については、いずれまた書きます。


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プロフィール

中島誠一郎

Author:中島誠一郎
うつ病、過敏性腸症候群、自律神経失調症、統合失調症、痛風を治療中の貧乏芸術家・中島誠一郎です。
武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒です。
以前は彫刻、今は写真CGで作品作っています。
「人間の純粋な心」をテーマに作品作っています。
Twitterもやっています。↓
https://twitter.com/s_realblue
よろしくお願い致します。
写真の参考価格は、四つ切(約25.4×30.5cm)サイズで、私の推奨の額装込で4万円です。
作品の価格、サイズ、発送方法等はメールフォームにてお気軽にお問い合わせ下さい。
[個展]
青い風(1999年・ガレリアラセン・写真)
静かな風と時の中で(2000年・ガレリアラセン・写真)
[グループ展]
環境野外彫刻展(1996年・国立市富士見台団地・作品が盗まれ、途中で出展中止・彫刻)
[ギャラリー企画展]
ガレリアラセンselect2000(2000年・ガレリアラセン・写真)

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